難病を乗り越えた経験から変わった僕の人生観。

こんにちは。当サイト管理人の二宮一平と申します。

 

本記事では、僕が幼い頃に難病を患い、どう乗り越え、そして人生観が大きく変わった話をしたいと思います。

 

僕は、小学校4年生の半ばにペルテス病という股関節の軟骨が壊死する病気を患いました。

 

発症率は10万人に5人ほどと言われており、発病の原因は不明の難病です。

 

主に1歳ぐらいの子供が患うことの多い病気なのですが、僕は10歳という比較的遅い年齢で発症したので骨の特性上、ある程度治癒するまでに4年の歳月を要しました。

 

また、一生涯、完治することはないという病気でもあります。

 

現在も、年に1回ほど通院中なのですが、幸せなことに生活に支障はありません。

 

決して美談として語るわけではないのですが、難病に悩まされている方や我が子が病気に悩まされている親御さん、人生に息苦しさを感じている方へ届いて欲しい記事にしました。

 

人生は、あきらめなければどうにでもなるということを感じていただければ幸いです。

 

突然難病を告げられた10歳の頃

 

小学校4年生といえば、物凄くエネルギーに満ち溢れた子供たちが多い年齢だと思います。

 

僕もその1人でした。

 

当時は毎週、道場通いで柔道を習っており、活発な少年時代を過ごしていました。

 

走り回ったり、運動することが大好きで、人一倍ご飯も食べる単なる普通の健康少年だった訳です。

 

しかしある日突然、柔道の練習中に股関節に立っていることもままならないほどの激痛が走りました。

 

5分ほど座っていると痛みが治まっていたので、1度や2度の症状では気にも留めていなかったのですが・・・。

 

今思うと、その時点で骨が削れていたのかもしれません。

 

そして、仲の良い友人や近所のおばさんたちからしばしば同じことを言われ出しました。

 

 

「何か、歩き方がおかしいけどどこか痛いの?」

 

 

自分自身、理解不能だったので聞く耳すら持っていませんでした。

 

だって、普通に走れるし、生活には問題が無かったから。

 

でも、あまりに多くの人から言われ続けていたので次第に悲しくなってきていた二宮少年であります。

 

学校に行くのすら嫌になってきていました。

 

友達とお昼休みにサッカーをしたり、体育の授業も普通に出来るのに。

 

歩き方がおかしいと友達に笑われ、少し惨めな思いをしていました。

 

小学生だから仕方がないのです。

 

そんなに深く考えずに口に出してしまう年齢ですし。

 

今も仲の良い友人が大半なので恨みも何もありません。

 

ただ、少し辛かったので親に相談して病院へ行くことにしました。

 

そこでお医者さんから告げられた衝撃的な一言。

 

 

「明日から歩けない生活になります。」

 

 

もう、当時の僕には意味が分かりませんでした。

 

「歩けないとは何なんだ??」と。

 

今までみんなと同じように生きていたのに。

 

それが出来なくなるなんてあり得ない。

 

葛藤が心を埋め尽くしました。

 

そこから、僕の長い長い闘病生活が始まりました。

 

2度の大手術と入院生活

 

結論から申しますと、僕は手術を2回経験しました。

 

どちらも手術時間が約3~4時間だったかな・・・何しろ12年前のことでして記憶があいまいなもので・・すみません。

 

全身麻酔の大手術でした。

 

たしかに命の危険がある病気からすると大したことはないかもしれませんが、10歳の僕には理解できていませんでした。

 

そのまま死んじゃうんじゃないか、ぐらい思ってました。

 

無事に両方とも成功に終わったのですが、その後も入院生活が続きます。

 

厳密にいうと、2年間入院していました。

ですので、小学校は4年生のころから残りはあまり行けなかったですね。

 

途中、松葉杖や車いすで登校していたのですが、また入院という日々を送っていました。

 

で、この入院というものが精神的にかなり堪えました。

 

毎晩、孤独の病室。

 

僕は飛び抜けて期間が長かったものですから、同室の患者さんたちもみんな出て行って広い病室に1人きりということが何度もありました。

 

そりゃ、マジで怖かったです。

 

今でも怖いかもしれません。

 

また、物凄くつまらないのです。

 

昔みたいにみんなと遊ぶことも出来ない、話し相手はお見舞いに来てくれた方々やたまに来る看護師さんくらい。

 

10歳という多感な時期の少年が、おじさんやおばさんと話すなんて無理でした。

 

葛藤に続く葛藤でした。

 

 

「何で俺なんだ。」


「俺は何も悪いことはしていない!」

 

 

神様を恨む日々でした。

 

何度も、1人病室で泣いたこともあります。

 

死んだほうがマシだ、なんて最悪な考えまでありました。

 

ただ、今こうして元気な僕がいるのは周り人々のおかげでしかありません。

 

見放されることはありませんでした。

 

手術代や入院費用も莫大なものだったと思います。

 

本当に感謝しています。

 

本当に辛かったですが、今思うとたくさんの温かさに触れていたんだな・・と感じています。

 

しかし、本当に辛い日々が訪れたのはこの後でした・・。

 

病人としての小学校生活

 

4年生で入院し、5年生で一時退院、6年生で再度入院という3年間でした。

 

車いすや松葉杖での登校生活を送っていたわけです。

 

みなさんの学校にはそういう子はいなかったでしょうか。

 

やはり、どうしても目立つ存在になってしまいます。

 

それは仕方がないのです。

 

小学生という年頃の子供というのは、何も考えずに馬鹿にしてしまいます。

 

「おまえ、走れないじゃん!おっそ!」

 

という、具合です。

 

まぁ、さすがに辛いですよね・・。

 

辛かったです。

 

また、杖をついて1人で歩いていた時、転んでしまいました。

 

すると、それを見ていた2人の女の子に笑われました。

 

最悪です。

 

死ぬほど恥ずかしかった。

 

でも、助けてもらうのも恥ずかしかったと思います。

 

本当に横着な感情ですが、多感な時期でしたから。

 

笑った子も単に幼かっただけです。

 

恨むようなことはなかったです。

 

でも、でも、どうしても、心の中は段々と荒んでいきました。

 

煮え切らないストレスとして、溜まっていってしまいました。

 

みんなに笑われるのが嫌だった。

 

何度も何度もバカにされるたびに、

 

それが怒りに変わってしまったんですね。

クソガキ過ぎた僕は、人として終わっていたと思います。

 

バカにしてきた子と片っ端から喧嘩していました。

 

弱者として扱われる自分が嫌だったのです。

 

見返してやりたかった、その一心でした。

 

最悪な少年へと変貌していました。

 

誰よりもタチの悪い人間であったと思います。

 

自戒を込めてここに書きました。

 

今では本当に心の底から反省しています。

 

この場を借りて、謝罪致します。

 

辛いなら逃げてもいいと思う

 

僕は、元々気が弱い性格ではなかったので、1人閉じこもることはありませんでした。(といいますか、気は非常に小さいのですが、負けん気で生きてきたタイプかと・・・。)

 

家に帰って打ちひしがれることはあったにせよです。

 

でも、世の中そういう子ばかりでは無いはず。

 

辛くて、誰にも本音を言えずに、生きている方はたくさんいると思います。

 

いじめや、身体的・精神的差異で悩んでいる人もそうです。

 

端から見ると分からないのですが、その人の中では立派なコンプレックスなんです。

 

違いを認める、その違いも含めて一人間であるという感覚をもっとたくさんの人が持ってほしい。

 

僕は強く願います。

 

また、

 

 

辛くて仕方がない。

毎日が憂鬱。

 

 

そういう人が逃げても良いような社会になって欲しいです。

 

学校というものは、ランダムに選ばれた子たちを半ば強制的に詰め込む場所です。

 

そして、画一的な教育を強いられ、違いを認めてもらえません。

 

これはどう考えてもおかしいことだと、僕は思います。

 

学校に行く子はそんなに偉いのか、と。

 

勉強なんてたかが知れてます。

 

僕は長らく病室で1人勉強していましたが、学校に戻ってもまったく遅れをとっていませんでした。

 

むしろ、こんな昔に勉強したことまだやってんの!?という感覚。

 

それはそうです。

 

学校のように、掃除の時間や家庭科の授業、音楽や生活の科目など専門的な授業はやらないからです。

 

ましてや、1回の授業で教科書5ページほどしか進まないのです。

 

どう考えても学校に行かないほうが効率は良いのです。

 

普通に100点だらけでした。

 

だから、学校に行きたくない、もしくは行けない子供たちは安心してください。

 

大丈夫です。圧倒的に効率が良いので。

 

また、お子さんが学校に通えない事情をお持ちの親御さんもしっかり要点さえ教えてあげれば大丈夫です。

 

そんなに心配することはありません。

 

学校に行けない人はダメ。

授業についていけない人はダメ。

みんなと違う考えや感覚を持っている人はダメ。

 

こんな概念は間違っています。

 

もっと、多様性に溢れた環境を作るべきです。

 

辛いことを我慢させるのは絶対に良くない。

 

僕は、常に弱者の味方でありたいと思います。

 

人生、先は長いです。

 

決してあきらめないでください。

 

必ず、僕が世の中を変えてみせます。




病気には感謝しています

 

今の僕は、周りとはかけ離れた考えを持った人間だと感じています。

 

一旦、思いっきりレールを外れたからだと思います。

 

辛くて仕方がなかった。

 

でも、周囲に支えてもらった温かみは今でも僕の心に残っています。

 

感謝しても、し尽くすことができません。

 

そこからたくさんの学びを得ることが出来ました。

 

大きく人生観が変わったと思います。

 

元気に走り回ったり、フットサルをやったりと、どこにでもいる大人になれました。

 

今回、僕がこの記事を執筆したのは、同じ悩みを抱えている人たちに共有したいと思ったからです。

 

人生長い目で見ると、あきらめなければ絶対に光が見えてきます。

 

信じてください。

 

弱音を吐いても良い。

 

誰も理解してくれないなら、今はネットがある。

 

SNSはたくさんのつながりを持てる場所です。

 

ブログで辛い気持ちを告白してもいいんです。

 

どうしようもなかったら、もし僕で良ければ話を聞きますよ。

 

いつでもTwitterのDMは解放してますから。

 

弱いことは悪いことではない。

 

この感覚を与えてくれた病気に、僕は感謝しています。

 

ありがとう。

 

ここまで長々と呼んで頂き、ありがとうございました。

 

ブログというツールの存在にも感謝しています。

 

いつもしょうもない記事を書いているのですが、たまにはこういうのもいいかなと思いまして。

 

誰もが幸せな世の中は実現不可能なんでしょうか。

 

僕は可能だと思ってます。

 

今が辛い人へ。

 

頑張らなくて良い、逃げよう。

 

新しい世界はたくさんあるから。

 

そしてここから先は、24歳という年齢になり、改めて実感していることをお話させていただきます。

 

24年という年月を生き、改めて実感していること。

 

病気は本当に辛い経験でしたが、何かを乗り越えた経験というものは、非常に大きなエネルギーをもたらしてくれる、と実感しています。

 

このブログは、様々な紆余曲折はありましたが、主にファッション情報を発信中です。

頑張って運営して参りましたが、本記事を運良くテレビ東京さんに拝見して頂き、取材の機会をいただくことになりました。

 

「生きるを伝える」

記事が見つかりませんでした。

 

依頼を受けた当初、初めは嘘か本当か現実なのか、まったくもって分からず・・・。

 

 

・自分なんかが出ても良いのだろうか

・そんなに深い人生を送ってきたのだろうか

・何をお話しするのがベストなのだろうか

 

 

様々な想いが脳裏を埋め尽くしました。

あまりに自信が無かった僕は、当初、お断りの旨を伝えました。

しかし、

 

 

「ぜひとも、難病を乗り越えた経験をお話しして頂き、辛い想いをしている方たちへメッセージを送っていただきたい。」

 

 

そう背中を押され、涙がこぼれつつも、何か僕にできることがないか必死に考えました。

バックナンバーをさかのぼり、内容や雰囲気、番組構成などを必死に分析し、どういった立ち振る舞いがベストなのか、考えに考え尽くしました。

そこで出た答えは、

 

 

なにかインパクトを残し、批判も覚悟で、そして強さを演じ、視聴率アップに貢献することでした。

 

 

今となってはそれが正解だったのか、不正解だったのか、成功だったのか、失敗だったのか、正直判断はつきません。

なぜ、そこまで偉そうに、強欲な考え方をしたのかと、思い返すこともあります。

ただ、

 

 

instagram経由で、番組の視聴者の方から、1通の感謝と応援メッセージを頂きました。

 

 

もう、それだけで十分でした。

誰か、誰か1人でも笑顔にできて、そして明るい未来を想像していただけたのなら、本望です。

母親も大喜びしてくれました。

 

テレビ東京さん、並びに本記事をご覧になられているあなたへ、すべての方々に感謝の意をお伝え致します。

本当に、ありがとうございました。

 

今、病気や、挫折、失敗などに対面している方へ。

絶対に生きていれば、生きているだけで、必ず明るい未来はひらけてきます。

 

僕で良ければ、僭越ながら何かお力添えできればとも思います。

共に乗り越えていきましょう。

 

僕は、死ぬまであなたたちの味方でいます。

弱いままで、他人の痛みが分かる人生を、全力で謳歌していきましょう。

 

人生、チョベリグです。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。